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(司会/ジェームズ・リプトン)今回のゲストは「ザ・プレイヤー」で2つの主演男優賞を獲得、「デッドマン・ウォーキング」でゴールデン・グローブ賞の脚本賞とアカデミー賞の監督賞にノミネートされ、ベルリン映画祭で3つの賞に輝きました。「さよならゲーム」「ジェイコブズ・ラダー」「ショーシャンクの空に」「ボブ・ロバーツ」多くの作品で私たちを魅了しました。「クレイドル・ウィル・ロック」は監督、脚本家としての才能を結集した傑作です。ロバート・アルトマン監督は”彼は第二のオーソン・ウェルズだ”と言いました。ご紹介しましょう。ティム・ロビンスです。 | |||
生い立ち・演劇を学び俳優になるまで・「ファイブ・コーナーズ」「さよならゲーム」 | |||
(ティム・ロビンス登場) | |||
TIM | (客席に向かって)やあ! | ||
--- | 子供時代を覚えていますか? | ||
TIM | ええ よく覚えています。グリニッチビレッジで育ちました。 | ||
--- | 多くのゲストと同じく--あなたの両親もとても有名な方ですね。父親は? | ||
TIM | ハイウェイメンというフォークバンドのシンガーでした。 60年代はじめによくツアーに出ていました。でもその後役者に転身しました。今は合唱曲を作曲しています。 |
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--- | みんなは知らないかもしれないが「漕げよマイケル」という大ヒット曲がありました。 コンサートへは? |
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TIM | 行きました。コンサートの様子は鮮明に覚えています。ものすごい熱気に包まれていました。観客が合唱する姿には感動しましたね。 父親と一緒に観客が歌っているんです。 |
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--- | 母親は? | ||
TIM | 僕が小学校に入るまでは専業主婦でした。その後パート職を経て出版社に常務しました。 | ||
--- | 60年代のグリニッチビレッジはどうでした? | ||
TIM | 子供の頃は特に意識はしませんでしたがワシントンスクエア公園を歩くのは刺激的でした。奇妙で風変わりな人たちをたくさん見かけました。それが僕の日常でした。僕は変わった人たちが大好きなんです。育った環境のせいですね。人と違っていても構わないということを幸運にも学ぶことができました。どんな個性やセクシャリティーも受け入れてくれる、そんな環境でした。 | ||
--- | 60年代に街頭演劇を? | ||
TIM | ええ 演劇グループで活動していました。夏に街頭演劇をするんです。子供のころに7年間ほど続けました。時事問題を扱った芝居をやりました。世界やアメリカ国内そしてニューヨークのね。 | ||
--- | 高校は? | ||
TIM | スタイプサント高校。 | ||
--- | スタイプサント高校はニューヨークの名門校です。 | ||
TIM | 有名な公立高校で入学試験があります。難易度の高い高校です。 | ||
--- | 楽しかったですか? | ||
TIM | 自分はそれほど賢くないことにすぐ気づきました。授業についていくための基礎学力がないんです。代数や生物学とかね。カトリックスクールでは”神が万物の創造主”と。 | ||
--- | (会場笑い) | ||
--- | 大胆なところはスーザンといい勝負だ。 | ||
(客席のスーザン・サランドンがうつる) | |||
TIM | 僕は落ちこぼれでしたが英語科目は得意でした。英語教師はそんな僕に演劇を勧めてくれたんです。 | ||
--- | ニューヨーク州立大学に数年通ったあと-ロサンゼルスに行きましたね | ||
TIM | UCLAに入学するために1年間ロスで暮らしました。州民の授業料は安いので先に住民の資格を取ったんです。 | ||
--- | ”メール・デス・カルト”とは? | ||
TIM | アハハ ワーオ! 僕が所属していた野球チームです。ソフトボールです。 | ||
--- | 演劇科の学生? | ||
TIM | そうです。ユニフォームは頭がい骨に-ボールの目玉にバットで×印。 | ||
--- | 太陽劇団のジョルジュ・ビゴーとの出会いは? | ||
TIM | あれは…”アクターズ・ギャング”で活動していたときでした。 | ||
--- | ソフトボール仲間ですか? | ||
TIM | そうです。 | ||
--- | それがアクターズ・ギャングですね? | ||
TIM | それで…活動3年目くらいのときにジョルジュ・ビゴーのワークショップがありました。太陽劇団の一員として84年のロスでの芸術祭に参加しその年の夏と秋にワークショップを開いたんです。イタリアの即興仮面劇(コメディア・デラルテ)を教えるクラスでした。指導はとても厳しくて内容も難しかった。でも一度マスターすると驚くほど芝居が変わるんです。 僕がジョルジュに受けた影響はとても大きく芝居に対する考え方が変わりました。観客を大切にすることも教わりました。 僕の芝居を見るために貴重な10ドルを捻出する人もいれば、交通費を節約して歩いてくる人もいる。そのことを忘れてはならない。夜中の2時半にセットにいるときなどそんな観客のことを考えるようにしています。舞台や映画は安くありません。庶民にとってもは映画料金だってかなりの出費です。それでも来てくれる観客に敬意を払うべきです。 |
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--- | そうですね。 | ||
(会場拍手) | |||
--- | テレビの仕事から始められましたね。 | ||
TIM | ええ。 | ||
どんな仕事でした? | |||
TIM | 最初の仕事は医療ドラマのテロリスト役でした。犯罪者役が多かったんです。1時間のアクションドラマなどでね。 | ||
--- | この映画「ファイブ・コーナーズ」は映画界進出の布石となりましたね。監督はトニー・ビル、脚本はジョン・P・シャンリー。魅力的な作品でしたか? | ||
TIM | 作品のテーマ、ロケーション、スタッフ、すべてが魅力的でした。共演はジョン・タトゥーロ、ジョディ・フォスター、シャンリーによる-詩的なセリフを読むのはとても光栄なことでした。貴重な作品だと思います。 | ||
--- | 君もすばらしかった。以前この場でスーザンに言いました。僕は「さよならゲーム」の熱狂的なファンなんです。 | ||
(会場拍手) | |||
--- | 今でもよく覚えていますがスーザンはこう言いました。あの役を演じられるのはティムしかいないと。 | ||
(スーザン・サランドンがゲストの回の一部) S「ケビン・コスナーじゃあの役はムリよ。ろくでなしの役だもの」 ---「ティムは…」 S「ティムならぴったりよ」 (会場笑い) S「最高のろくでなしになれるわ」 |
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(会場笑い) | |||
--- | ヌーク役を演じるためにオーディションを受けましたか? | ||
TIM | ええ、実際に投球しました。 | ||
--- | 誰に? | ||
TIM | ケビンに。 | ||
--- | 最高スピードはどれくらいでした? | ||
TIM | 144キロでした。しかもノーコン。 | ||
--- | ケビンもさぞ興奮したでしょう。 | ||
TIM | バッターは怖がってましたよ。 | ||
--- | コントロールをマスターした? | ||
TIM | 低速でなら--- | ||
--- | トレーニングは? | ||
TIM | 楽しかったですよ。ピッチャーの気分を味わえました。 僕の球(タマ)をバッターに打たれるのは怖かったけど。 |
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(笑い) | |||
--- | 僕の面目が…(笑) | ||
TIM | ”野球ボール”のことですよ。 | ||
(笑) | |||
TIM | 強烈な打球が飛んでくるでしょう。 | ||
--- | 先ほどティムの対するスーザンの発言を紹介しましたがティムはスーザンについてこう言いました。 ”スーザンの演技はすばらしい。詩的でロック風だ” 僕もそう思いますが詳しく説明してくれますか? |
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TIM | スーザン流だ。 | ||
--- | あなたは? | ||
TIM | ロックではない。 | ||
(笑) | |||
--- | スーザンとの共演はどんな感じでしたか? | ||
TIM | とてもすばらしかった。僕たちの関係は友達から始まったんです。あれは僕が初めて大役を演じた作品で脚本もすばらしかった。 スーザンは僕の面倒を見る世話好きな女性を演じました。 |
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(「さよならゲーム」の一場面) |
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